あれやこれや。

江戸に住む女子のひとりごと。

インナーワールド

 

 

よく人には4面性くらいある(血液型は4通りだけれど、そのくらい人は多面性を持っているという意味で)、とか言うけれども、わたしは気付いた時には2人の人がいるなぁと漠然と思っていた。
昔つきあっていた彼氏に指摘されて、それは普通ではないと知った時は少し驚いたけれど、誰しもが全員に同じ顔をしてはいないだろうと、それは大した問題ではない気がしていた。
1人目のわたしは、常識的で穏やか。争いを好まず、なにより平和を大事にする。人が困っていたらできるだけ力になりたいと思うし、だけれど好き嫌いもしっかりと存在して、自分は平凡だと思っている。
2人目のわたしは、わがままで子供っぽく、自分勝手。自分を大事にして、好きなひとも大事にする。自由奔放で束縛を嫌う。
わたしはこの2人目の自分を、表に出さないようにして生きてきた。
だけれど、喧嘩した時、どうしても納得できない時、友達が傷つけらた時、2人目のわたしは黙っていない。そうして彼氏にはわかってしまったようだけれど、それでも大人になるにつれ、2人目のわたしはわたしの中に眠っているような感じになってきていた。

 

一方、わたしは幼い頃より絵を描き、文章を綴り、クリエイティブなことが好きな子供だった。
それは大人になっても続いて、わたしはそうしてデザイン系の職についた。
デザインをするには2つの大きなパターンがある。理論でデザインするか、感性でデザインするか。
誰もがこのどちらかをメインに、だけれどもう一方もミックスしてデザインをする。どちらかだけでは難しい場合もあるからだ。
わたしは若い頃は完全で感性だったけれど、徐々に理論も使うようになった。

そうして気付いた。
若い頃の文章の方が、荒削りだけれどきらきらしていることに。
なぜなのか。年齢のせいか、経験のせいか。
それはわからないまま、それでも経験がクリエイティブなことを上手にこなす。
それでも納得できなくて、過去の作品を見たり、新しいクリエイターの作品を見て刺激を受けたりしていた。

 

最近になって、どうしても譲れない事柄が起きた。
それはわたしの趣味に関わるもので、好きで続けている趣味だから、どうしても譲れない大事にしている事柄だった。
それを友人の1人が悪気なく、だけれどひどく馬鹿にした。
自分の中で感情が渦巻いて、抑え切れなくなった。ひとりでに手が震えるほどの怒りを、ひさびさに感じた。
わたしはひとり部屋で泣いて、酒を飲んで、それでも気が治まらず、気を紛らわすために絵を描いて文を書いた。
1人目のわたしが言った。
それは大したことではない。大人なのだから、相手に悪気がないのだから、許すと言ってあげるべきだ、と。
2人目のわたしが言った。
大事なものを馬鹿にされてまで、大人になんてなれない。どうしても許せない。絶対に許さない。
彼女の感情は苛烈で、自分が自分じゃないような感覚に陥った。

 

そうしていつのまにか眠り、朝が来ていた。日曜日だ。
ぼんやりとしたまま起きて、お茶を入れて飲んだ。
胸の内側の彼女は好き勝手振舞ったからか、ちょっとおとなしくなっていた。
そしてPCをつけて、昨日の絵と文を見た。
衝撃だった。それはなくしたと思っていた、過去のわたしだった。
必要ないと、面倒くさいと思っていた彼女は、わたしのクリエイティブな部分だったのだと知った。
そうして今は、彼女とどうして共存していけばよいのかと、それを考えている。
答えはまだ、よくわからない。